【ブログ】「金メダル」の社会的価値~松崎英吾
2017.4.29
~競技スポーツにとってのメダル~
競技スポーツの世界にいると、メダルはとても大事なものです。
メダルは競技する裾野を広げます。
メダルは競技の認知を向上させ、資金調達力を高めます。
メダルは社会からの名声となり、選手たちのセカンドキャリアを築きます。
メダルは国からの評価を高め、再投資の対象となります。
競技スポーツにとってはメダルというシンボルはとても大事なものになりうる可能性をもっているわけです。
~障がい者スポーツにとってのメダル~
一方で、私が所属する「障がい者スポーツ業界」では、メダルだけでは得られにくい価値もあると考えてます。
「障がい」というなんらかのハンディが、社会生活の制限や区別につながっている状態にある人たち(あえて「社会的弱者」と表現します)が担うスポーツにおいて、そのスポーツの広がりは社会的弱者のあり方を変化させることが必要ではないでしょうか?
言い換えると、障がい者スポーツにとってメダル獲得は、社会的弱者に対する既存の社会制度やインフラに、改善をもたらす必要があると思うのです。
メダルをとっても働ける障がい者の人数・割合は変わらない。
メダルをとっても教育をうける公平性が担保されないまま。
メダルをとっても社会から感じる偏見は変わらないと思ってしまう。
そういう状態が続いて、そのメダルは社会的価値を提供したと言えるでしょうか?
私には競技スポーツとしては成功しても、社会的価値に課題を残す気が思えてならないのです。
メダルは魅力的です。
そうそう取れるものでもありません。
だからこそ必死になり、我をも忘れて目指すものでしょう。
しかし、SMLの考え方で言えば、その「価値」にどのような意味付けを与えるのか、立ち止まって考えてもよいかもしれません。